自動車にひかれて左足首の複雑骨折。20歳フリーターの体験談。

骨折の話

自動車にひかれて左足首の複雑骨折。20歳フリーターの体験談。

私は現在20歳のフリーターです、骨折時の年齢は10歳でした。

私は骨折時は父親を探して雨の中を徒歩で探し回っていた時でした。私は父がいつも行くスーパーの近くの十字の交差点で信号が変わるのを待っていました。歩行者の信号が、青に変わったときに走って渡ろうとしたら、曲がり角から信号を無視した自動車が私の体目掛けて突っ込んできました。私は突然曲がってきた自動車に慌ててその場でコケてしまいました。こけた時に不運にも左足を車道に伸ばしたまんまでした。そこに信号を無視した自動車が突っ込み、次の瞬間には。自分の左足首から先が、ブーメランの玩具のように左に90度曲がってしまいました。私は、ショックからか動機が激しかったのを記憶しております。

慌てて私を轢いた自動車の運転手は、救急車に連絡してくれたそうです。待っている間の私は全身を巡る足の激痛に低下していく体温に、周りの運転手さんも毛布を持ってきてくれて。私の体を毛布で温めてくださりました。救急車は通報から40分程て来てくださったようです。救急車では、私を轢いた運転手と乗りました。車の中では車の走行中に生じる揺れや段差が来るたびに足に激痛が走りました。病院に到着してから早々私は手術室に運びこまれました。麻酔は打てなかったようなので90°に曲がった足を医者数名で引っ張り骨をもう一度引き伸ばし再度元の位置に戻しギブスで巻かれました。足首の複雑骨折でした。

そのまま私は病院で入院になりました。1日目の夜には父が駆けつけてくれましたが。あまりの痛みで会話もままならない状況でした。「痛い痛い痛い」とずっと叫んでいましたその日は痛みからか寝てしまいました。2日目の朝痛みで目が覚めました。2日目から鎮痛の座薬を結構可愛らしい女性が入れてくれて、今思えば「可愛くてラッキーだったな」と思いました。2日目の昼には私を轢いた自動車の運転手とその家族が私に謝りに来ました。病院の費用は全て加害者家族が払ってくださいました、喜んではいけませんが正直ラッキーと思いました。

「リハビリしてみようか。」

と入院して一週間がたった日に病院の先生からいわれました。私は「まだ痛みが引かないのでリハビリは厳しいです」と医者に言いました。ですが医者は「若いから大丈夫だよ」と意味のわからないことをいわれました。半強制的にリハビリルームに連れて行かれ、私は最初に車椅子の乗り方、操作方法等を医者から聞かされました。車椅子は当時の自分には扱いが難しく、松葉杖に変更してくださいました。松葉杖は松葉杖の頭の部分が自分の脇に擦れ、自分の脇が擦り傷になったのを覚えています。退院はリハビリルームの説明を聴いてすぐに退院させられました「1ヶ月後に病院来てね」と言われました。

松葉杖は痛くて痛くて父が支えてくれましたが、脇の擦り傷は夏で蒸れて膿みました。ギブスの中も蒸れて痒くなって、使わなくなった菜箸で掻いていました。学校も家の中も松葉杖で歩くのは辛かったです。そこから一ヶ月の月日が経ち、ギブスを取り外した時小型のチェーンソーのようなものでギブスを切り開きました。1ヶ月人間足が使えなくなると、「ここまで痩せるの」と思うほどに左足はやせ細っていました。その後レントゲンを撮り曲がって骨がくっついていましたが医者は「成長につれて治るから大丈夫だよ」といってくださいました。