バスケットの練習試合で右手首の骨折。小学5年生の体験談。

骨折の話

バスケットの練習試合で右手首の骨折。小学5年生の体験談。

現在大学4年の22歳です。

骨折したのは約11年程前の小学5年11歳でした。当初私は小学校のバスケットボールチームに所属していました。週7で練習や試合を行い、小学生ながら本当にハードな日々を送っていました。夏休みに入り、いつものように地元の小学生チームがいくつか集まり、ある小学校の体育館で練習試合が行われました。その日はメインの6年生だけでなく下級生の試合も行うということで普段なかなか着る機会のないユニフォームを着て、みんなでとても張り切っていました。いざ下級生の試合が始まると、下級生ながら身長が高い子もいれば体格の良い子など、背も小さく体格もさほど良くない私はあっという間にふっとばされる始末でした。そんな中、試合は急展開を見せ先頭を走っていたフリーの私になんとボールが回ってっきたのです。まさかこのタイミングで自分が受け取るなんて思っても見なかったので焦りと緊張と決めてやるという気合いでゴールに向かって必死にドリブルしていきました。

フリーでダッシュしていく私を見て相手チームも黙ってはいません。後ろから猛スピードで追いかけてくる足音が聞こえました。その音はだんだん近くなり、そして私にあと少しで追いつくというその時でした。追いかけて来た相手チームの子がつまずき、私にダイブしてきたのです。もちろんそんなことが背後で起きているなんてことは知らず、後ろから人に突っ込まれた私は当然転倒しました。

が、転び方が悪かったんです。頭から地面に突っ込みそうになったので手が出てしまい、全体重プラスダイブしてきたいあてチームの子が私の右手首全てに委ねられました。きっとこの時点ではヒビか捻挫程度だったと思います。しかし、転がったボールを追いかけた選手が見えなかったのか私と私に乗っかっている子に突っ込んできました。突っ込まれた瞬間、バキッという綺麗な音がしました。痛みはありませんでした。しかし、私の右手首は死んでしまったかのように動かなくなり、交代を宣言されとりあえず冷やそうと冷やしてみたもののこんなに腫れるのかといほど青紫色になり腫れ上がりました。ここからは激痛の戦いでした。念願のユニフォームと汗だくの身体と共に私は病院へ運ばれていきました。右利きだった私は何も出来ずただひたすらされるがままに病院で治療を受け、レントゲンを撮りました。

自分のレントゲンを見た瞬間、右手首に一直線の白い線が写っていました。骨と骨が離れている、すなわち骨折ですと言われた時骨って本当に折れるんだと感心していました。私の場合、とても腫れてしまっていたので、1週間は包帯で腫れが引くのを待ちました。腫れが大分治まったあと、ギプスでぐるぐる巻きにされ完全固定されましたが、その際はもう痛みは全くありませんでした。大体1ヶ月程度ギプスを巻いていたのでその際は特に通院等もなくただひたすら安静にということでした。約1ヶ月後、骨も付きギプスを外してからのリハビリは本当に大変でした。週3〜4でリハビリ室に通い、手首の曲げ伸ばしをひたすら行うのですがこんななんてことない動きですら1ヶ月固定されるとできなくなるんです。もう骨はくっついているからう動かして大丈夫と言われても怖さもありなかなか思い切って動かすことが出来ない上に激痛があり、骨折した時よりリハビリの方が私はしんどかったです。

リハビリを重ねていくうちに動くようにはなりますが、恐怖心もなく完全に動かせるようになりドリブルも付けるようになるには約2ヶ月かかりました。確かに約3ヶ月間は本当にしんどい生活でしたが、当時小学生で夏休み中だった私は利き手である右手首を骨折したことにより宿題全免除、学校が始まってからの鉛筆がしっかり持てるようになるまでは宿題しなくてよいということで人生でそう経験することはないであろう宿題のない夏休みを過ごしました。今思えば宿題もないが自由も奪われているではないかとも思いますが当時の私は骨折も悪くないなと思えるほど宿題免除は幸せでした。